inrevium杯「第14回レスキューロボットコンテスト」競技会予選レポート
2014年6月29日にデザイン・クリエイティブセンター神戸で第14回レスキューロボットコンテストが開催されました。大阪電気通信大学 自由工房からは「救命ゴリラ!!」で参加しました。1体のダミヤンを救出したものの、搬送が間に合わずタイムアップとなりました。
メンバー紹介
- キャプテン
- 清家悠太郎君(電子機械工学科3年)
- 1号機オペレータ
- 能㔟賢人君(工学部電子機械工学科1年)
- 2号機オペレータ
- 皷 悠介君(環境技術学科2年)
- 3号機オペレータ
- 近藤 吏君(電子機械工学科2年)
- 4号機オペレータ
- 髙木裕一郎君(電子機械工学科2年)
- ダミヤン個体識別担当
- 平戸祐司君(電子機械工学科3年)
- TPIPボード管理者
- 平戸祐司君(電子機械工学科3年)
- ヘルパー
- 須下貴博君(電子機械工学科1年)
- 竹村正彦君(電子機械工学科1年)
ロボット
予選結果 39ポイント
公式サイト
- レスキューロボットコンテスト公式ウェブページ
- レスキューロボットコンテストFacebook
- 上下機構の歪み
- ベッド上下に使用するモーターの固定が緩む
- 保護機構の幅がダミヤンよりも狭い
メンバー感想
清家悠太郎君(電子機械工学科3年)
私はレスキューロボットコンテスト予選にチーム「救命ゴリラ!!」のリーダーとして出場しました。今回の私たちは、特化型ロボット4台を製作して競技に出場しました。
結果は39ポイントと低い得点になってしまい、予選落ちとなってしまいました。まだチャレンジ枠の発表が残っていますが、正直期待できないのが現実です。
今回の失敗の原因としてはデバック期間が不十分な点と練習が少なかったことにあると思います。またこの二つの問題点は以前から言われているスケジュール管理が不十分ということから発生した問題です。
個人的にはもっと上を目指したかったのですが、今回はこのような結果になってしまいました。正直悔しです。
今後、機会があるならこれらのことを反省し、自分自身で実践していきます。またはこれまでの失敗や成功の経験を後輩に伝える努力もしていこうと思います。
中村祐一(電子機械工学科4年)
今回私は前々回のレスコンでやり残したCACS基板のファームウェアの更新と、TPIP3に対応させるための回路の構築を行いました。
海外留学から帰ってきたのが4月ごろで、既に現役を引退して大学の卒業研究をしていること、そして、その他の仕事があったため、自由工房での活動はあまりできませんでした。
しかし、今の救命ゴリラ!!は無線通信や回路等に対する不足な事態の対処が不安なので、チームに入ってほしいと要望があったため入りました。
予選で私は4号機オペレータの指示を行っていました。始めは問題なくアプローチをして、救助完了しましたが、連結ガレキに少し乗り上げ救助ベットが突然下がりイエローフラグとなりました。
一息ついて、再度救助を行い、遠回りの別ルートを考えましたが、バンププレートでの振動でベットが下がる事恐れがあったためと、ダミヤンを乗せたままの旋回性能の不足、そして、イエローフラグの前に、ある程度ガレキが動いていたので、何とか回れると考えましたが、またベッドが下がってしまいました。すぐに上にあげようとしましたが、上がられずそのまま終了時間になってしまいました。
結果は、搬送完了無しという非常に残念な結果でした。
予選に参加して痛感したのが、事前の準備不足と様々な状況下を想定した練習不足。なにより、今までのレスコンでできていた事を後回しにし、新しいことに対する対処しかできていなかったのが最大の欠点であったと思います。
近藤由規君((電子機械工学科3年)
僕は今回のレスコンの大会にかける思いがいろいろとあって、なんとしても本選にでたかったです。
まず代々続いてきた自由工房伝統の功績に泥をぬりたくありませんでした。僕らの代で絶対に初の予選落ちにはなりたくなかったのです。僕自身ここで伝統を壊してしまうと中学の時と同じく先輩から続いてきたまた伝統を壊してしまい。周囲の期待を裏切ることになってしまいます。その時、先輩や先生にいろんないやみを言われました。その経験が本当にいやで二の舞になりたくなかったからです。
そして自由工房ではプログラム班で何もできないでいたけど、それを変えるために今回ロボットを作ろうと思うようになりました。
また1年のころに自由工房にほとんど来ていなかったため、自由工房を辞めるとまでいっていた僕が、清家や同期に引き留められました。その時に迷惑かけてきた分、何かしたくて、何もできなかったプログラム班から、本来したかったロボット班に変えてもらうようにお願いして、鼓が2台つくるのではなく1台を任せてもらいました。
任せてもらった以上、生半可なものは作ることはできないと思ってました。
だからサーボだけでつくったアームではだめだと思っていたし、これまでにないものを作りたいと思いました。
そして宣言したからには完成させる責任があるし、作りたいものを作るという自分勝手を通すなら必ず完成させないといけないと思いました。
しかし、本当に完成できるのか毎日不安で、家にいても伝統をつぶしたくないという不安な気持ちしかなく何日も自由工房に泊まって作業をしました。
4月からずっと泊まり込んでいましたが、体調不良やしんどいと思うことは最後の方になるまで一度も思いませんでした。不安が僕を動かしてましたけれど、それ以外にも一緒に頑張ってくれている同期がいたからこそだったし、だからこそ本選にいけるようにもっと頑張らないとと思ってました。
僕は不安要素をすべて取り除いたつもりだったし、作業は納得いくまでやりきったつもりだったけれど、予選で連結ガレキが押せなかったのは本当にショックでした。練習では押せないことがなかったから、本当に当たり前に押せるだろうと思っていて、テストランでもガレキを持ち上げて除去する練習しかしていませんでした。
予選のガレキはタイヤのしたにはさまりやすく、見ててわかったけど真鍮にちょうど乗り上げてたりしてうまく押せませんでした。ゆっくり押していけばいけるかと思ったけれど、それもできませんでした。バンカーを付けておけばよかったと本当に思いました。作ってはいたし用意もしていました。だけど、このことに関しては、会場についてからいろいろと議論した結果つけないことになりました。それがあの結果につながったかと思うと悔しいです。
作戦会議もして、救助パターンを何個か用意し万全だったはずなのに、現場で機転が利かなかったことも悔しいです。
あの時ああしておけばよかったと、大会終わってからずっと考えてしまいます。大会の結果は本当に悔しいし、僕はまたしても伝統を守ることができなかったし、期待にこたえることができませんでした。本当に情けないと思いました。
大会後ミーティングをしました。
先輩らのごく一部の人が、僕らの代を見限っていたというの聞いてわかってはいたけど目の前で言われると腹が立ちました。
最初の機体コンセプトの時点で無理だというのを知ってて言わなかったらしいです。言うことを聞かないだろうから言わなかったらしいけれど、じゃあ僕らの代は始まる前から終わっていたのではないかと思いました。
僕はぜんぜん工房に行っていませんでした。自由工房で遊んでるやつがいるのがいやで、図書室でやってましたが、自由工房にきてないっていう事実だけで作業してないあつかいが続いてそれがいやでした。僕は先輩からよく思われていませんでした。
だから機体作るといったときは、先輩がよく思ってなかったのか、今年は手伝わないとか言っているの聞いて必ず見返してやるという気持ちで取り組みました。SNSでそういう話をしているのも知っていたから手伝ってもらうことはしませんでした。
今日のミーティング中でどういう気持ちで取り組んだかという質問にこちらが答える前に「何も思ってないに決まってるやん」という言葉には正直怒りしかないです。
そしてごく一部の人は見限っていたのは、なんとなく知ってたけど始まる前からだったという話を聞いて今までやってきたのはなんやったんやと思ったと同時に自由工房に入らなければよかったと少し思ってしまいました。
今回作ってて思ったことは、レスコンは唯一のチーム競技で、チームの力を必要としなければいけないのに、今回のチームはあきらかにばらばらでした。
最後にリーダーの清家君は本当に頑張ってくれていたと思いました。すごく感謝をしています。なのに本選に一緒に行くことができずに本当に悔しかったです。
平戸祐司君(電子機械工学科3年)
私は、第14回レスキューロボットコンテストの神戸予選に参加しました。私のやることは、レスコンボードの管理です。ロボットの通信がうまくいかない時にそれを直し,
ロボットとパソコンを接続させる役割をやってました。自分のなかで設定は前から何回もやっていたので、ロボット操縦者とやる内容はそこまでないですが試合前の通信のチェックのときなどに原因が分からずに繋がらないことが起きると、救助ができなくなります。テストラン前に何号機か接触不良が起こった時、自分でうまく繋げることができませんでした。先輩方にやってもらってそこは切り抜けれました。私の経験が足りないことが分かり、努力が必要だと思いました。本競技の開始の時通信は上手くいき良かったのですが、気になったのは、パソコンと無線器を繋ぐケーブルが控え室から操作ブースまで持ってきてなかったことです。チェック不足が原因になり、そこで慌てて試合のリズムがつくれませんでした。
奥村優策君(電子機械工学科2年)
私個人の目的は、来年の競技会のダミヤン識別と無線管理を担当するための学習です。そのため、私には明確な担当が振り分けられていませんでした。
大会の結果は予選落ちでした。要因として考えられるのは、各機体のデバッグ不足です。
1号機以外は大会直前に完成したため、機体の問題点が判明していませんでした。また、1号機も救助アームの長さが足りない場合があることが判りました。それらが予選の時に最悪の形で露呈し、今大会の結果につながったと考えています。
私はプログラムを担当していましたが、今年度のレスキューロボットコンテストまでに私の製作物を投入する予定はなく来年度までを目処に学習や実験を続けていました。
来年度の私の目標は、オペレーターをサポートする実用的な機能を各機体に実装することです。その為にロボットの製作者の要望を聞き、それを実現する方法を模索していきたいと思います。
近藤 吏君(電子機械工学科2年)
今大会での私の役割は4号機の補佐と整備でした。4号機に発生した主な不具合をあげると、
というものでした。
上下機構のゆがみは事前に予兆があったので対処は難しくなく、救助機構の幅も現場で修正する事は予想していたので混乱せずに対処できました。
問題は、モーターの固定が緩むという事態ですが、使用していた穴のほぼすべてがすり減り使えない状況になっていたので非常に切迫した事態でしたが、一回り大きいネジを何とかはめ込むことで乗り切りました。
大会本番、スムーズに移動しあらかじめ予定した配置につくことができました。そのままダミアンの1体を4号機に収容することができたのですが、ガレキの除去に手違いが生じており、4号機が運搬中にそのガレキに乗り上げてしまいイエローフラッグを取られてしまいました。
また、直接的な要因ではないですが、ダミアンを収容した際に完全に前進が入っておらず不安定な状況になっている点も見逃せません。オペレーターによると急ぎすぎたせいでその作業の進行確認がおろそかになったようです。
全体的に、機体そのものは安定していたのですが、操作のミスや不十分さが目立ちました。また、想定よりも重かったガレキを押せなかったのは事前に確認できたことなのか、まさしく不測の事態だったのかは今はわかっていません。
今回の挑戦結果を踏まえ、他の不備も原因を突き止め、向上の足掛かりとします。
髙木 裕一郎(電子機械工学科2年)
今回のレスキューロボットコンテスト予選での自分の役割は4号機の担当および操縦でした。予選の結果、救命ゴリラは18チーム中10位で予選落ちでした。
反省点は、まず予選が始まる前に自分が操縦する4号機の上下機構に問題があったことです。原因は、モータを固定するねじ穴がつぶれていました。
この問題は予選競技が始まる前に応急処置で何とか直りました。予選競技で、4号機は、ダミアン(大)の所まで行くときは、何も問題はありませんでしたが、ダミアン(大)を救助した後にベットを上下機構で上に上げたのに、搬送中にベットが下がり、ダミアンに対する危険行為でイエローフラグをとられてしまいました。
この原因は、自由工房で使う練習用のダミアンよりも予選で使われているダミアン(大)が重くて、上下機構のモータがトルクが負けしまい下がったと考えらています。
イエローフラグになった後、もう一度ダミアンを救助することができましたが搬送までは行けませんでした。
来年は、こういうことのないようスケジュールや準備に余裕をもって、万全な状態で出場できるようがんばりたいと考えています。
皷 悠介君(環境科学科2年)
1)目的
今回のチームの目標としては、予選を突破し本選に進むことでした。予選でロボットが問題なく救助活動ができるのかを判断し、また改良点を発見する。他の出場チームを観察することで新たに学びとっていくを目的としました。
2)予選までにしたこと
大会に向けて新たにガレキ除去ロボットを製作しました。ガレキ除去ロボットには、ガレキ除去の要となる4軸ロボットアームを製作。さらに、災害現場の荒れた地面に対応、または道路を寸断するガレキをも踏破できる駆動クローラーを製作しました。
3)結果
予選は8分以内に要救助者2体の救助を目指すもので、チームで4台のロボットを作成し、救助に挑みました。要救助者を一人も救助できず予選敗退となりました。
競技開始時、ガレキ除去ロボットである2号機、3号機がベースキャンプを出発し、3号機は他のロボットが車道を通過できるように路上にあるガレキの除去に向かい、2号機はガレキの下敷きになっている要救助者のもとに向かいました。
その後、救助ロボットである1号機、4号機が要救助者のもとに向かおうとしましたが、1号機に通信ラグの問題が発生しこのままでは救助が不可能と判断しリスタートを要求しました。
1号機がベースキャンプで再起動を行っている間に、2号機は要救助者上のガレキを除去、そこに4号機が要救助者救助のもとに到着。続いて2号機は搭載されているカメラによって4号機の救助を支援しました。
3号機は倒壊家ガレキに到着し、ガレキ内にいる要救助者を救助するために障害となる連結ガレキを車体で押すことによって除去しようと試みましたが、連結ガレキに乗り上げてしまい失敗。3号機によるガレキ除去は不可能と判断し、1号機の到着を待ちました。
その間に4号機は要救助者を救助完了。搬送を試みましたが、搬送途中にベットが下に降りてしまう車体トラブルが発生してしまいました。
そのことに気がつかず搬送を試みようとしたところ、審判によって要救助者への危険行為としてイエローフラグを取られてしまいました。イエローフラッグを取られたため、要救助者を元の位置に戻されました。
再び4号機が救助を試み、2号機が引き続きサポートにまわりました。その時、1号機は3号機に代わり連結ガレキの除去を試みるも、同じくガレキにタイヤを乗り上げてしまい失敗。4号機のカメラ支援を行っていた2号機に連結ガレキの除去を依頼しました。
2号機は依頼を受け1号機のもとに向かい、連結ガレキを押すことによって除去、1号機が要救助者を救助を試みました。しかし、1号機が連結ガレキの除去を試みた際にアームのせり出し部分にトラブルが発生、ラックギアとギアが外れ救助ができなくなってしまいました。そこで2号機が、ガレキ除去アームでせり出し部分を押すことによってラックギアをはめ込み、1号機が救助可能な状態にしました。1号機が要救助者の救助を試みましたが、その時点でタイムアップ。結果として1体の要救助者も救助できなかった。
4)反省・次回の目標
今回予選で出場したロボットの完成度的には全体的に高かったです。しかし予選競技でのロボットの問題点を上げることは可能ですが、それ以前になぜ『その問題に気がつくことができなかったのか』と言うのが1番大きな問題だと自分は思います。
なぜ問題点に気つくことができなかったのか、それはデバック期間、つまりテスト期間の不足が原因です。
通常全体練習をすることで動作テストを行い、改良することで本番でのトラブルを減らす。しかし、今回はモデリングに時間を取られチーム全体の練習期間が1カ月未満と少なくかった。結果、競技中にトラブルが起き、予想通りの動きができませんでした。
テスト期間不足が起きてしまったのは、全体のスケジュール管理の問題です。スケジュール管理は毎年大きな課題で、今年のチームも当初一応スケジュールを組んでいました。しかし、スケジュールの遅れが出てしまいテスト期間が減りました。
なぜスケジュールを組んでもスケジュールどおりに進行しないのか? それは、自身の能力以上の過密すぎるスケジュールを組んだり、思わぬミスが発見されたことによるスケジュールの遅れや、家庭の事情やその他の予想外な出来事によって、スケジュール通りに進まないことが要因としてあげられます。
今年チームは、遅くとも5月初旬にはロボットが完成する予定でした。しかし、今回予選の反省会をしたところOBの意見として、5月初旬の完成は遅く、4月の新入生歓迎会までには完成するべきだと言う意見が出てきました。よって3月中旬には設計がすべて完成、発注書を書く作業を行い4月までに発注するのが望ましい。
スケジュールの管理は初心者には難しく、2年目の自分でも失敗してしまった。よって来年は後輩のスケジュールに関してアドバイスを送りたいと思う。
川中 裕士君(電子機械工学科1年)
今回の個人目標は、大会に慣れることと、自分が今度作るロボットの案をみつけることでした。自分は今回が初めての大会で、他チームのロボットの動き方を見ていました。
ベルトコンベアでダミヤンを救う方法や、左右にも移動できるオムニホイールというタイヤを使うなど、いくつか案は浮かびました。どれにしようか迷うほどです。
反省は、カメラの充電がされているかの確認をし忘れて、あまり大会を撮影できなかったことです。次回でこの様な根本的な失敗がないようにする対策として、準備確認をする表を作るべきだと思いました。
須下 貴博君(電子機械工学科1年)
今回の予選では、3号機と4号機に若干の不安を抱えての出場になりました。結果としては予選敗退という残念な結果に終わってしまいました。
その原因は1号機の通信不良と連結ガレキを押すのにタイムロスをしてしまったことと、4号機の機構の問題です。1号機の通信不良の原因はわかっていません。連結ガレキの問題としては、ガレキ除去機である2号機や3号機にダンプがついていなかったことだと考えています。2号機は何とか押すことができていましたが、3号機は押すことができず2号機にまかせっきりになってしまっていたことが大きい理由だと考えています。4号機に関してはその機構上、頭からきれいに救助に入らなければならないので、その操作が大変難しく、それもまたタイムロスの原因だと考えています。
次回の大会に向けては、自分も本格的にロボットの製作に取り組めると思うので今回の問題を解決し、さらに良いロボットを作れるように努力していきたいと考えています。
竹村正彦君(電子機械工学科1年)
第14回レスコン競技会神戸予選は、ダミアンを救助できたものの搬送完了ができずにタイムアウトとなりました。予選には、サポートとして出ました。大会を初めて見て、やはりもうすこしだけ車体の重さを軽減したほうがいいと思いました。
相手のチームの中には空に飛ばして救助するロボットやベルトコンベアを使って救助するロボットなどがありました。僕も見ていましたが、通信トラブルで飛べなかったそうです。他にも色々なロボットがありました。
しかし他のチームも通信トラブルがあり、動くのに少し時間がかかるロボットもありました。大会途中で動かなくなったロボットもありました。
一番見ていて難しいそうだなあと思ったところは、ダミヤンを乗せてゴールまで運ぶことです。いくら救助しても、ダミヤンを傷つけたらそこでイエローカードが出ます。フィールドにはデコボコした道もありましたので、そこを通るのもむずかしそうでした。そこのところを改善していき、ロボットを作ってみたいです。
今回の結果から、ダミアンを傷つけずにどのような工夫で、どのような感じで救助するかを考えていきます。
我々、救命ゴリラ!!では、最初は2号機がでて 次に4号機、1号機の順に出ました。3号機はマシントラブルでリスタートとなりました。
4号機はダミアンの救助に成功したもののダミヤンに対する危険行為のためにイエローフラグを受けてしまいました。この問題から、来年からはさまざまな問題を解決していきより優れたロボットを作っていきたいです。
能㔟賢人君(電子機械工学科1年)
今回のレスキューロボットコンテストで1年ながら1号機のオペレーターをやらせてもらいました。結果は本選には行けず予選落ちになってしまいました。
原因として、第一に全体の練習不足でした。練習に十分はないと改めて思い知らされる結果になりました。
第二に1号機に関してはコントローラーを含め、調整が十分でなかったと思います。そのため、本番でもトラブルが起こり1号機をリスタートすることになりました。そのためタイムロスが発生し、ダミヤンを救助できませんでした。次は、予選の一か月前には何としても練習時間を確保するため、機体を完成することを目標にして行きたいと思います。
藤田 勝君(電子機械工学科1年)
僕はチームのサポートとして大会に参加していました。結果は予選敗退でした。僕自身は大会に向けての用意などはあまりなく、大会までのことで振り返ることはありません。
大会は多くのミスが重なりダミヤンを一体も救助できぬまま終わりました。僕は本戦でのプレゼンを用意していたのですが、使うことなく終わってしまったのが残念です。
来年は今回起きたようなミスをなくすためにダブルチェック、トリプルチェックして、ケアレスミスを減らしてきたいです。
スナップ